The party in the high castle

Energy Return on Investment (EROI)の減少、即ちエネルギー余剰の低減による文明崩壊論を基調モチーフとしつつ、地理、歴史、技術、制度、思想などについて考えます。

エネルギー収支から考える未来 オルロフ『崩壊5段階説』を手掛かりに

【以下で述べることはツイッターでダラダラ書いたことを備忘と頭の整理を兼ねて記述するものであって、嘘や飛躍が多々混じっているかもしれないこと先にお断りします。】

 

エネルギー収支、即ち1単位のエネルギー投下によって得られるエネルギー量、言い換えると人類が享受できるエネルギー余剰こそが、文明の形態を規定する最も根元的な要素だと思っている。太陽光、人力、家畜に頼っていた古代や中世は、大航海時代、即ち帆船と航海術のイノベーションにより大海原の風力エネルギーを活用する勢力が現れたことにより、新たな時代へと変貌する。グローバリゼーションが本格化するのだ。人・モノの移動は経済のあり方を変え、社会を変え、政治を変えた。とはいえエネルギー面での非連続な大変化といえば、言わずもがな、産業革命による化石燃料時代の到来である。人口は産業革命を境に急激に上昇を始める。世界経済のGDPも、詳しい計算はよく理解できていないので省くが、エネルギー収支と強力な相関があると言われている。

 近未来を考える上では、このエネルギー収支が決定的に重要だ。第二次世界大戦においてウィンストン・チャーチル卿が石油利用を推進し、戦後、モータリゼーションのさらなる推進と相まって世界的に石油需要が増大した。いわゆるエネルギー革命だ。石油は神の雫だ。エネルギー密度は圧倒的に高く、かつ液体であるため扱いやすい。近年は電気自動車の台頭によりガソリン・内燃機関が端に追いやられている感があるが、エネルギー収支で言えば安価な石油を用いる方が圧倒的に効率的ではないだろうか。ここは詳細に検討してないのであくまで推測。それを差し引いても、電気自動車は電力インフラを前提とする、即ち再エネであれば出力変動とエネルギー密度の低さという課題、化石燃料であれば燃料の採掘と輸送という問題(この活動は結局石油に依存している)があるわけで、電化を進めるにしても、一定程度の石油はやはり必要になる気がしている。

 そんな石油採掘にかかるエネルギーは年々増大している。いうまでもなく、近年新たに発見される油田は中東の陸上などではなく、ブラジルやメキシコ、アフリカの深海だ。アメリカのシェールもあるが、比較的採掘コストは高くしかも短命であるから、見かけ上の生産量は多いがエネルギー収支はイマイチだと思っている。深海での生産は困難だ。いくら大きいとはいえ、海底深くまでガスや水を注入しないといけない。これには当然大きなエネルギーが必要になる。こうやってギリギリ支えられているのだ。よって文明が享受できる余剰エネルギーは年々減少しているのであり、いわば、赤字経営が続き、資産を徐々に食いつぶしているような状態にある。

 この状況が示唆する未来はいかなるものか。ドミトリー・オルロフ『崩壊5段階説』が興味深く分析する。曰く、まずは金融が崩壊する。なぜか。現代のグローバル資本主義は無限成長を前提としていることは明らかである。企業は年率何%の成長なのか、投資利回り(=つまり成長率)はどうか、マクロ経済の目標は?2%インフレ、つまりこれも成長を前提としている。経済は右肩上がりに成長していくというのが現代資本主義の大鉄則であり、これが崩れれば誰も投資などしない。つまり経済が回らない。そして、経済成長は余剰エネルギーの増加に他ならないならば、エネルギー収支が急激に悪化することが予想される近未来において、グローバル資本主義は絶望的な崩壊危機に直面すると言わざるを得ない。

 オルロフは、金融崩壊後は商業の崩壊がくるという。確かに、金融に関わらない商業などほぼ皆無であり、スーパーマーケットを建設するのだって金融借り入れが必要で、農家だって借金することを考えれば、当然だ。このように金融・商業が壊滅的被害を受けた時、世界はどうなるのだろうか。具体的には、政治はどうなるのか。これが今一番気になっているテーマだ。

 エリック・ホブズボームは、市民革命と産業革命を二重革命と称した。私は、化石燃料産業革命を親として、民主主義=国民国家グローバル資本主義の双子が生まれた、という理解をしている。産業革命によりエネルギー余剰が増大し、その余剰を効率的に蒐集した勢力=産業ブルジョワが誕生した。これがグローバル資本主義をドライブしていく。パワーを持ったブルジョワは、アンシャン・レジームにおいて不当にも彼らの権限が制約されていることに腹を立て、政治参加を求めて市民革命を起こした。市民革命というと「貧しい農民のような中世世界における被抑圧者」が蜂起したように思われがちだが、単に金持ちが貴族を倒した、というだけでしょう。(金持ちが新しい貴族になっていることは、現代を見れば言うまでもない。)ブルジョワは、自分たちの産業を最速で成長させるには、民衆をうまくトランスフォームする必要があることに気づいていた。日の出と共に起き、日没と共に寝る、ような牧歌的生活をされては困る、定時に起き、工場に行き、遅くまで働く、ロボットのようにこき使いやすい労働力を得るにはどうするか、というところで、国民への義務教育というアイデアが出る。同時に政治哲学の面でも、中世的社団といった中間団体は一般意志の成立を妨げるとかなんとかで、ギルドや農村共同体、宗教団体を徹底的に潰し、近代国家の元で一人一人が平等、自己実現を目指すべきというトレンドができた。ブルジョワにとって使いやすい労働者を作るということと、一人一人が自己表現・自己実現・自由を目指すという政治的・思想的お題目が見事に一致し、国民国家が作られた、ということではないか。

 で、近未来、即ちエネルギー収支減少局面で世界はどうなるか。18世紀、19世紀に起きた変化と逆のことが起きるのでは、というのがとりあえずのイメージ。つまり国民国家は崩壊か衰弱し、村落・都市共同体、職業団体、宗教団体といった社団が復活し、福祉サービスや精神的支柱を提供する、そして世界秩序は中世的帝国に再編される、という流れである。

 なぜ国民国家は持続しないのか。それは資本と国家のベクトルが完全にずれてしまったからである。近代初期においては、資本家と政治エリートは、目的に差はあれど態度は一致していた。両者とも富国強兵と殖産興業を目指した。現代では両者は微妙な関係だ。グローバル資本は国境を越え、タックスヘイブンで課税を回避する。国家は税収を確保するために法人税を上げることができるが、すると資本が逃げて行く。資本家に優しい政策を取れば、再配分を求める民衆の突き上げを受けるという、苦しいジレンマに陥っている。ブラジル大統領選をウォッチしていて、この姿が手に取るようにわかった。海外投資家に有利な政策をとる経済右派が優勢になると株価が上がる。再配分を主張する左派が有利になると株価が下がる。国民の世論調査こそが唯一無二の指標であるはずだったが、実のところ、グローバル資本主義による「審判」がリアルタイムで行われているのだ。結局ブラジルは経済右派のボルソナロ氏が勝利、海外石油メジャーは嬉々として投資姿勢を強めている。だがリスクはある。再配分の不足と、一部経済エリートに富が集中して行く姿を見て、民衆が蜂起するかもしれない。事実、ペトロブラスディーゼル価格をあげたことで、トラック運転手がストライキを実施、経済が半分麻痺するという事態が今年5月に発生したのだから。

 ただし、今置いている前提は、エネルギー収支減少によって資本の力が弱まる、ということだった。資本主義の力が減れば、かつてのように、国家と資本が一致して強力な国民国家が実現するのではないか・・・私の考えは、NOである。

 思うに、民衆が国民国家を受け入れたのは、経済のパイが急速に成長し生活が豊かになる中で、社団に頼るよりも、国家に頼った方が効率的・効果的に成長を享受できると感じたからではないだろうか。国家、例えば財務省のエリートが税収の使い道を「合理的」に考え再配分すれば、各地域の社団がちまちまやるよりも、よっぽど効率的であることは恐らく事実だ。一方、税収は畢竟グローバル資本の流れから掬い取るものであって、そのパイが減って行く中では、国家歳入は減少する。日本では高齢化も相まって、例えば年金システムについての信頼性がどれほど国民内にあるのか、甚だ疑問であるように、「国家が富を回収して配分する」行為に信頼が置かれにくくなるだろう。どうせ返ってこない年金を払うくらいなら、顔の見える共同体で相互扶助の仕組みを作った方が、心理的にも安心感があるし、実際、その方が生き残りやすいと思う。これは中世的社団の復活に他ならない。南青山の児童相談所騒動が示すように、一部の富裕層の倫理観からしてみれば、もはや「国民という同胞」のための再配分などは迷惑でしかなく、仮に国家が暴力でそれを強制すれば、本当の意味で資本と国家の戦争となり、恐らく資本が勝つだろう。トランプ大統領が誕生した際、カリフォルニア州が独立するといった動きが一部に見られたが、これは極端にしても、富裕層が民兵を雇って自衛コミュニティを作るというのは全く不思議な動きではない。

 要するに、経済のパイが縮小する局面という殺伐とした時代にあっては、国家という大きな機構は時代遅れの遺物となり、もっと小さな共同体に人は信頼を寄せるだろう。富裕層は壁を作って閉じこもるだろう。政治倫理的には富の再配分が課題になるが、地縁、血縁、宗教、職業といった面での社団が一定の救済になることを願いたい。また、少々荒っぽい議論だが、貧困層がたまりがちな都市秩序を維持するために、都市富裕層が貧困支援に合意するという可能性はあると思う。何れにしても、都市や農村といったレベルで調整が行われるのであり、国民国家という巨大システムの出る幕はあまりない。

 ちなみに低エネルギー世界で現在の人口を現在の生活水準で維持することは確実に不可能であるから、冷徹な言い方をすれば、人口が急減する事象がおきないと辻褄が合わない。それは内戦か戦争という形を取り、そこに天災や疫病がかぶさるかもしれない。この天変地異が、国家の威信失墜の決定打となると見ている。悲観主義者と言われるかもしれないが、21世紀中葉は、本当にカオスな時代となるのではないだろうか。

 最後に、「崩壊後」の国際関係も考えておきたい。国際政治や国際関係論はほとんどがウェストファリア以降の国民国家主権国家並存体制を前提にしているのだが、国家衰弱後はこの前提が崩れ、より中世的な帝国的秩序となるだろう。国際政治学における主たるテーマである戦争と平和、勢力均衡といった理論は、「戦争がない世界が善い」という認識があるように見えるが、戦争が「違法」になったのはここ100年程度の話であり、その理由は、航空機や爆弾の普及、及び国家間の大競争という時代では前線と銃後の区別なく総力戦が行われ、その破滅性は目を見張るものがあり、武勇を見せつける場としての中世的戦争観が転換したことによるものと思うが、幸か不幸か、エネルギー収支が減った世界においてはこのような総力戦は起きようがないと思う。

 都市と農村という有機的ネットワークの中で、当然衝突もあり、流血もあるだろうが、とはいえ一定の地域がなんらかの思想によってまとまる世界、中世における神聖ローマ帝国オスマン帝国、日本の天皇幕藩体制のような秩序になるのではなかろうか。きっと、宗教が力を盛り返してくるはずだ。神は一度死んだが、また蘇るだろう。

 「新しい中世」という概念が提示されてからしばらく立つが、一見、世界は近代に逆戻りしたかに見える。が、それは恐らく最後の反動であり、近代を支えた根本原理である高エネルギー収支が終焉に向かう今、改めて、中世秩序の復活というアイデアを検討する価値があると思われる。

 

 

 

英雄ヴァルフィッシュ・イェーガーと火のエレメント

 カール・シュミット『陸と海 世界史的な考察』を買った。まだ全ては読んでいないが書店で斜め読みしたところ、第5章「鯨と捕鯨者を称えて」が一際目についた。

 メルヴィルが『白鯨』で描いた捕鯨漁師「ヴァルフィッシュ(鯨)・イェーガー(狩人)」こそが、それまで沿岸部につなぎとめられていた人類が大洋に進出する先頭に立ったのだという。中世の海洋覇者ヴェネチアも、所詮は「内海文化」のチャンピオンに過ぎなかった。捕鯨の民こそが、初めて海のエレメントのうちで生きるようになった「海の子」だった。

 そして第20章がまた興味深い。「陸」と「海」という二つのエレメントに加え、「空」そして「火」が加わるという。空は航空宇宙技術と電脳世界(Digital technologyを含む)、火はエネルギー、具体的には化石燃料原子力を指すのだろう。シュミットはこの4大エレメントの関係や構造については言及を避けている。「真面目な考察と空想的な施策が入り交じっていて、まだ予想のつかない活動範囲が広がっているから」らしい。

 僕はライフテーマを海とエネルギーと言ってきた。海を巡る文化や歴史、国際関係が好きであると同時に、技術を核としたエネルギー問題にも強烈な関心があるからだ。シュミットが予見しつつ深入りを避けた「海」と「火」というエレメントを、ゆくゆくは自分の言葉で語りたいと思う。

ジャック・アタリ『海の歴史』

 この前買った本もまだ読み終わっていないから、本屋には行ってはいけない。衝動買いで積ん読が増えてしまうから。そう思いながらもふらっと丸善に吸い込まれぶらぶらしていると、案の定、その美しい表紙と魅力的なタイトルが、海の魔物セイレーンの如く誘惑していたので結局買ってしまった。

 ジャックアタリは言わずと知れたフランスの大御所知識人。未来予測系の本をよく書いているが、アプローチは文明論の王道といったところ。今回は海を中心に据えて宇宙開闢から近未来までを雄弁に描いている。

 海を主人公にした本で最近読んだのは、ジェイムズ・スタヴリデス『海の地政学』。NATO総司令官まで務めた米国海軍軍人の手になるこの本も、7つの海を舞台に繰り広げられた歴史上の海戦に焦点を当てながら世界史を概観する。とはいえこちらは海軍軍人の視点+国際政治、といった領域に限定されていたが、アタリの方はというともう少し視点が広い。同じフランスの偉人、ブローデルの『地中海』あるいはマクニール『ヴェネチア』に通じる。本ブログでも度々言及しているパラグ・カンナ『接続性の地政学』にも近い。

 人類の世界史を海と陸の対立で捉えるというのは伝統的地政学の発想に他ならず特に新規性はない。ただし地政学という文脈を超えて経済や文化まで含めて語ているという意味では新規性を感じる。海は自由というイデオロギーの支柱である、という主張は、「海洋ロマン」を文学や映画を通じて表現してきた勢力は皆、歴史上の勝者であった事実を見れば実に興味深い。海を制すものが有利であるなら、そこには人々を海に駆り立てるような文化・思想があったということだ。その点、日本はどうだろうか?島国ではあるが、外洋に出てロマンを追うという文化的モチーフはあまり存在しないように思う。残念ながら。

 海は文化の基盤であり、食料とエネルギーの産地であり、新しい遺伝子資源といったバイオ資産に富み、海洋機能は気候維持にとって極めて重要だ。海を知り、海を守りながら上手に利用できる勢力、「海洋文明力」が未来のキーワードだ、という。強く賛成する。海洋環境の汚染速度は極めて早く、その保全の枠組みは心もとない。思想・制度・技術それぞれにおいて、持続可能な海洋文明の構築が喫緊の課題ということだ。これは今後も考えていきたい。

 

『ホモ・デウス』を読んで考えた色々

 ユヴァル・ノア・ハラリの新作『ホモ・デウス』を読んだ。前作『サピエンス全史』も非常に面白かったけど、こちらも劣らず刺激的。今作はテクノロジー、特に人工知能生命科学の進歩による近未来の思想的革命について考察しているのだが、その詳細には立ち入らず、彼が考える文明観について自分なりに咀嚼したい。

 前作で強調されていたのは、人類を特別たらしめる能力は「虚構創出力」ということだった。国家や宗教、貨幣といった抽象概念は全て実体がないのに、一定の構成員は皆それらを前提として協力できる。動物も協力はできるが直接コミュニケーションできる範囲でしか不可能だ。一方人類は虚構を通じて見ず知らずの他人と協力できる。だからここまで圧倒的になれたというわけだ。

 この考えに触発されて、僕なりの文明観を作ってみた。それは思想ー制度ー技術のトライアングルである。思想というのは幅広く、人権のような普遍的概念、宗教、国益地政学的利益や経済利益)など、要は人類が行動するときの「目的」に据えられる理念を指す。制度というのはその目的に即して形成される各種の社会的枠組み、例えば法律制度が代表例である。技術はこれら抽象的な「虚構」と「現実」をつなぐものであって、いわゆる財の生産・流通を可能たらしめるノウハウの総体である。これらは互いに影響しあっていて、一方通行ではない。「富国強兵」という思想が経済促進政策という制度を形成し、その中で各種の技術革新が生まれる、といったストーリーもあれば、人工知能のような技術革新が思想や制度に変化を促すケースもある。21世紀最大の地政学的イベントとも言われる北米シェール革命も、資源生産に関わる技術革新が米国、ひいては国際関係におけるダイナミズムという「虚構」に作用し、原油輸出解禁という制度的地殻変動も引き起こした。(ある意味、「制度」は思想と技術を媒介するに過ぎないから、トライアングルではなく両輪と捉えても良いかもしれない)

 世の中が大きく動くときは、思想と技術のギアが噛み合って、両者の間に正のフィードバックループが働いているはずだ。15世紀以降の大航海時代は「スペイン・ポルトガルの経済的・地政学的利益追及」「カトリックの世界展開」という強力な「虚構」のドライブと、中世より蓄積されていた造船及び航海に関するイノベーションが噛み合った。

 僕のライフテーマである「海とエネルギーから考える文明論」という文脈でこの構造を見てみる。「海」の分野に存在する強力な思想は「地政学」と「環境」だろう。エネルギーでは「成長」と「環境」、ちょこっと「地政学」だろうか。結局のところ、「国益」という個別的な価値と「環境」という普遍的な価値の相克がそこにはありそうだ。技術でいえば、伝統的造船業に加え先端的な材料工学、そしてロボティクスと人工知能の波が押し寄せている。

 思想を掲げる「国家」や「NGO」、技術を提供する「エネルギー企業」「IT企業」といった、4つのプレイヤーが入り乱れる世界が見えてくる。マトリクスで整理するならば、「国家×エネルギー」は伝統的な石油ガス等開発事業が、「国家×IT」は海に限ればスマート漁業、海洋モニタリングや海底ケーブルの管理、「NGO×エネルギー」は小規模な海洋再生可能エネルギー事業、そすて「NGO×IT」は仮想通貨を用いた洋上都市経済圏プロジェクトのような、シリコンバレー長者のお遊び感が少しあるdream projectといったところだろうか。

 現代社会においてNGOのような非政府組織は確かに影響力を持つが国家には及ばない。資源動員力において主権国家の力は相当に強い。だから海洋開発はほとんどが国家主導の石油開発プロジェクトなのだ。その意味で中国の海洋政策は強力だと思う。産業も自在にコントロールできるから、思想と技術を両輪で回すことができ、「国益」をフルセットで追求できる。メタハイの技術開発も日本より先に成功させるだろう。「掘削リグ」は形を変えた空母なのだ。技術を手にした中国は「新時代の空母」を続々と投入し沿海域を文字通り内海化するに違いない。その時は、「環境保全」「責任ある海洋開発」などといった思想が喧伝され国益の野心を覆い隠すだろう。

 僕は地政学という「虚構」からは一旦距離を取って「文明維持KPIとしてのEnergy Return on Investment」という「虚構」を信じている。その観点では、例えば中国が内海化した南シナ海で洋上原発を実用化し技術水準をあげたとしたら、それが原発のリスクを最小化し高品質エネルギーの安定供給を実現するなら、まさに「海×エネルギーによる文明維持」というライフテーマに合致するわけで、自分としてはそれを否定する理由もない。(もちろん中国の進出による地政学的脅威を受けている日本国民としての反感や不安感はある。)

 まあ、結局個人が信奉する「虚構」も多種多様、究極的には皆等しく「虚無」なのだからそこで争っても仕方ないのかもしれない。とはいえそうやって人類は歴史を刻んできた。世界史が面白いのはそういうことだ。 

五能線の絶景と歴史浪漫を味わう〜鰺ヶ沢・深浦・十二湖〜

 僕の実家にはJR東日本のカレンダーがいつも掛かっていた。各所の路線と絶景を題材にして、季節感ある美しい写真が載っているのだった。その中の一つには、日本とは思えない猛々しい岩と真っ青な海、そして海岸沿いに続く線路という、異国感もありながらどこかノスタルジックな情景があるのだった。五能線という路線だった。この夏、昔から気になっていたこの景色を見に青森は弘前・深浦・十二湖(白神山地)まで行ってきた。

 

 旅は二泊三日。初日は新青森弘前で過ごし、宿は手軽に弘前駅前の東横イン五能線は二日目にたっぷり乗ることとした。「リゾートしらかみ」という特急列車があるのだが、あえてこれに乗らず、3両編成の鈍行で行ってみることに。ちなみに「五能線フリーパス」という、二日間乗り放題の切符を購入した。 弘前6:46発の電車に乗ったのだが、このあとだと10時台、次が確か夕方で、行き先で観光しようと思うと早朝のこれしかないという状況。鈍行で行く方は本数が非常に少ないので計画的に行動しましょう。f:id:Schoolboy:20180716214446j:plain

 

 車両は古い。電車マニアではないのであれこれ語ることはできないが、基本的な部分だけさらっと。車内はボックス席をメインに構成され、車両後方部にトイレがある。和式で、ペダルを踏むと何やら薬品が混ざったような青色の水が流れる。ずーっと流れ続けるのでおかしいなと思ったが、水を止めるにはもう一度ペダルを踏むらしい。

 

 弘前を出た五能線は途中でスイッチバックを経て、左手に岩木山を臨みながら、のどかな果樹園・田園地帯を疾走し日本海を目指す。 f:id:Schoolboy:20180716220159p:plain

出典:JR東日本路線図

 西を上にしているので少々わかりにくいかもしれないが、こちらが路線図。右端が津軽半島、左上には男鹿半島が位置している。今回は弘前を起点に反時計回りに進んで行くイメージ。鰺ヶ沢に出ると、緑一色の景色が鮮やかな青に変わり、日本海が出迎えてくれる。(あじがさわ、というのが最初読めなくて困った。。「鯵」は漢検準一級だそうです。)

 二日目は五能線の景色と並んで、世界遺産白神山地の「青池」を見に行くことにしていたので、十二湖駅まで進んだ。その間に拝める絶景は以下の通り。

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これなんて昔見たカレンダーの写真そのまんまな気がする。

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いやもう本当に美しい。鮮やかな空と深々とした海の紺。豊かな緑に荒々しい赤茶色。絵の才能があったならばここに居を構えて死ぬまで書いているのではないだろうか。

この日は実は昼から曇ってしまって、あとで出会った観光客の方は青空を見られなかったそうな。早起きは三文の得だった。

 

 ハプニングはその後に起こる。十二湖駅に着き下車しようとするも、なかなか扉が開かない。いや、ボタンを押すことくらい知っている。栃木生まれの僕は宇都宮線で幾度となく扉開閉ボタンを押してきた。が、今回は何度押しても反応がない。あれあれとしているうちに、ぐらっ。動き出してしまったのだった。そう、降りられなかった。どうやら後方車両は乗降不可で、先頭車両にいないと行けなかったらしい。東北では常識なんすか??

 次の停車は「岩舘」。もう秋田県だったりする。腐ってもしょうがないので、岩舘で降り、戻る列車を待つ1時間半ほどの間散歩することにした。雲を貫通する強烈な紫外線にHPを削られながらも、海岸沿いを何とは無しに歩く。地域の子供が担ぐ神輿とすれ違ったり、地元の海水浴場に行き着いたり。海の家があったので、冷えた缶ビールと名物らしき焼きいかを頬張る。最近インディアペールエールにはまっているけれども、こういう時はやっぱアサヒです。ガツンと来た。

 

 気を取り直して十二湖へ。十二湖駅からはバスが出ていて、15分も行けば白神山地の名所、青池周辺まで連れて行ってくれる。観光バスがたくさん来ておりなかなかの活気。

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青い。確かに青い。が、何というか、半分、青い?ポスターではもっと青いのでどうしたものかという感じはしなくもないが、透明度はすごく高くて、湖底の木なんかが良く見える。ちなみに曇っていたからで、太陽が出ていると光の加減で凄く青いらしいです。

 

 その後、二日目の宿地である深浦町へ。

 

 その昔、北前船の風待ち湊として栄えたという由緒ある町。この町に来たのはたまたま良さげなペンションがあったからで、歴史も何も知らず、「見た感じ漁村だから見る所は何もないだろうなー」とか思っていたのは内緒。期待を300%上回る素敵な町でした。ごめんなさい。

 

 今回お世話になったのはペンション深浦さん。料理が凄まじいという評判は聞いておったが、想像通りというかそれ以上というか。豪華を極めるとはこのことである。グルメレポは下手なので写真で済ませます。ちなみに右上の鍋の中には牛肉が控えておる。もちろん白飯も食べ放題的な雰囲気で奥に鎮座している。他の宿泊客の方々と談笑しながら和気藹々と楽しく過ごす。こういうのもたまにはいいっすな〜。

お世話になりました。

ペンション深浦|青森県観光情報サイト アプティネット

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 ちなみに、ペンションは高台に位置していて、夕陽をみる絶景ポイントでもある。今回は残念ながら曇ってしまったので夕陽は拝めず。運が良ければサンセットディナーになること間違いなし。

 

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 翌朝早起きしてペンション前まで散歩。この弁天様も、何とも猛々しい姿である。海の巨大な力によって削られた岩礁の上にそびえ、古来より船乗り達を見守って来たのだ。この場所、ブラタモリ的視点で見ても面白い地形。褶曲が綺麗に見て取れる。

f:id:Schoolboy:20180716224425j:plain弁天様から視点を左にそらせば美しい日本海

 

 最終日。ほとんど帰るだけの日なのだが、午前中を使って深浦を探索。

f:id:Schoolboy:20180716224559j:plain 807年建立という円覚寺へ。深浦の歴史的・文化的価値を凝縮したような場所であり、歴史好きは是非とも立ち寄りたい。船絵馬や髷額は文化財・日本遺産にもなっているようだ。歴史を知るという意味において、この円覚寺と対をなすのが、寺より徒歩1分ほどにある「風待ち館」である。三分の一スケール模型を中心に、北前船について詳しく説明されており、手元の知識が少なくともあらかた理解できる。

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とまあ、「ただ泊まるだけ」と思っていたこの深浦、想像を超えて面白い土地だった。今回の旅を通じて津軽や西廻り航路に興味が出て、風待ち館では本を買ってしまった。今まで世界史専門でやって来たのだけど、これをきっかけに日本史にも幅を広げられそうです。

 

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最後は疲れもあったのでこっちで。これはこれでやっぱいいです。

 

ということで、最高の夏の思い出。

次の旅先を迷っているなら、五能線・深浦、オススメです。

『歴史を変えた6つの飲物』:これぞ日常の歴史浪漫…

面白い本に出会った。『歴史を変えた6つの飲物』トム・スタンデージ著、楽工社。

 

「歴史×飲物・嗜好品」は、最強の組み合わせである。今日はこの組み合わせがなぜ浪漫をかきたててやまないのか書き連ねたい。

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そもそも本ブログにおける歴史浪漫とは何か。要約すれば、自然と人間の相互関係、地理と人類の格闘と共存の歴史であり、人間の社会経済・政治の躍動の記録。個人的には地理×歴史という部分に重点をおいていて、いわゆる各国史、政治外交史と言ったものとは少し違う。どちらかというとフェルナン・ブローデルウォーラーステイン、マクニールといった、世界システム論などというような、地球規模での相互関係に浪漫の起源を見出している。

 歴史好きの人はすでにお気づきかと思うが、世界システム論において、「世界商品」が極めて重要な概念であることは指摘するまでもなく、世界商品の最たる例が紅茶でありコーヒーだった。もうここまでくれば、嗜好品は躍動感あふれる「世界史」の写しそのものであることが見えてくる。だから、「歴史×嗜好品」系は、我々歴史好きはホイホイと手を伸ばして買ってしまうのであり、出版社から見れば勝利の方程式なのである。

 実際、書店に足を運べばそれは一目瞭然だ。「XXの世界史」がいかに多いことか。ざっと見るだけで、紅茶、コーヒー、チョコレートなど、世界商品のレンズを通して世界史を眺める良著が溢れている。

 だが、日本におけるこれらの系譜の始祖は、川北稔先生の『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書)であろう。川北氏といえば、日本における近代世界システム論の先駆け的論者であり、中には、大学受験で世界史を選択した人にはおなじみの世界史資料集『タペストリー』で、本書の紹介がされていたことを思い出す人もいるのではないだろうか。

 そして、世界システム論という考え方自体は、本ブログでも度々言及しているフェルナン・ブローデルを始祖とするアナール学派に行き着く。

 

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この『地中海』(ブローデル藤原書店)に、冒頭で紹介したほんと同様の薫りが漂うのは、決して偶然ではないのである。

 前置きが長くなったが『歴史を変えた6つの飲物』に戻ろう。本書は世界史を6つの時代に分け、それぞれ時代を象徴する飲物と結びつけている。

 最初は古代エジプトメソポタミアであり、「肥沃な三日月地帯」の豊かな穀物生産に支えられたビール時代である。「とりあえずビール」のおビール様は、人類最古のアルコール飲料だったわけだ。

 続いてギリシャ・ローマ時代。地中海といえばワインである。キリスト教の世界観と重なって、中世ヨーロッパにもワイン文化を根付かせた。ただ面白いのは、ワイン生産に適さない北ヨーロッパにはビール文化が残り、これが「ワインのフランス・イタリア」「ビールのドイツ・イギリス」に繋がっているとのこと。

 3つ目は蒸留酒。蒸留技術は当時錬金術の一部ということで、アラビアで体系化された。ローマ崩壊以後、世界の文明の中心はアラビアであったわけだが、そこでのテクノロジーがワインを蒸留する酒、ブランデーを生み出したというのは興味深い。その酒はアクア・ビータ(命の水)と呼ばれ、十字軍・レコンキスタといった征服活動を通じてアラビア文化(その基礎にあるのはアレクサンドロス大王を通じて東遷していたギリシャの文化であるが)伝わる頃には、例えばゲール語で「ウシュク・ベーハー」となり、「ウイスキー」の語源となった。蒸留酒は保存がきくし何より度数が強いので、大航海時代には通貨として用いられるなど大活躍したそうだ。度数をごまかしていないかチェックするために、火薬をまぶして火が付くかどうか試すこともあったという。そういえば、映画「キングスマン・ゴールデンサークル」で、捕まったエグジーとマーリンがチャニング・テータム演じるアメリカ版キングスマン、「ウイスキー」に尋問されるとき、同じことを言っていた。

 要は、ギリシャの学問を継承したアラブ人により生み出された蒸留酒は、ヨーロッパに伝わり、大航海時代を支える形で「新大陸」を含む世界中に拡散したわけである。この時代・地域を超えたinteractionこそが、歴史浪漫の本質だろう。ウイスキーが飲みたくなってきた。

 新大陸といえば、先日ブラジル出張した際に味わったご当地カクテル「カイピリーニャ」はサトウキビから作る蒸留酒カシャーサ」に砂糖をぶち込んだ激甘デンジャラスドリンクであって、サトウキビに蒸留技術を適用してしまうという部分も、地理と歴史のいたずらであろう。南米は、「世界の砂糖庫」だったのだ。

 視点を北に移しアメリカ。20世紀初頭アメリカのウイスキーといえば、「禁酒法」がある。ちょうどいま、HBOのドラマ「ボードウォークエンパイア」を見ているが、これがまさにこの時代。

 脱線を戻して4つ目の時代。これはコーヒーである。「理性と啓蒙の時代」に覚醒をもたらすコーヒーが注目されたのだ。宗教改革、科学革命、啓蒙専制君主の時代である。プロテスタントは、アルコールまみれで堕落した従来の暮らしへのカウンターとしてコーヒーを位置付けた。飲んだくれが集まるバーに代わってコーヒーハウスを。新時代のエリートが集うその場所は、政治・経済・文化の発信地となった。

 5つ目は大英帝国の時代。つまり、茶である。世界帝国として地球上あまねく交易ネットワークを築いたイギリスは、インドや中国から茶を輸入した。南米から集めた砂糖を入れて、イングリッシュ・ティーの出来上がりである。世界経済の王者として、地球の隅々から貢がせた物産を組み合わせ、帝国のシンボルとしてみせた。

 最後はなんとコカ・コーラ。いうまでもなく、イギリスを継いだ世界帝国、アメリカの商品だ。

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左はイスラエルで飲んだコーラ。ヘブライ語。右はパレスチナ自治区で飲んだコーラ。アラビア語アメリカのグローバリゼーションを象徴する飲物であることを雄弁に物語っている。

 

ということで、実はまだ全部読んでいないのだが、面白くて先に書きたくなったので書いてしまった。地理歴史というメガネをかければ、日常の些細なことが面白くなってくる。飲物も、食べ物も、建物も、標識や流行にだって、全て歴史の蓄積がある。

 

次はファッションの歴史でも勉強してみよう。

また靴を磨きました。

前回に引き続き、リーガルのファクトリーストアで買ったこの靴。

磨きやすく、結構簡単に光るので磨きの悦に浸りたときはこれをチョイス。

 

いつも通り、Boot Black黒で先っちょを撫でればアンティーク調の仕上がりに。

段々と慣れてきたのか、昔は軽く30分はかかってたのが10分程度でこの程度は光るようになった。

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右側の写真はbefore after。

 

梅雨時期はこの靴はあまり履けないのが残念。