The party in the high castle

遥かなる高みに聳える、アタラクシアの砦を目指して

国家の論理と企業の論理

国家対市場というのはかなり面白いと思うテーマの一つだ。19世紀的帝国主義の時代なら、国家の利益と企業(産業資本、金融資本)の利益はほぼ同一で、だからこそセットになって植民地支配を拡大していった。そこでは国家の拡大(=軍隊展開と行政管理)はすなわち企業の利益基盤たる市場、及び製品原料供給地の拡大だった。

 翻って現代はどうか。生産も流通も販売も、本国以外で行う企業は珍しくない。そういう企業と本国の関係は、税金を納める以外にはほとんどない、といっても良いケースすらある。その税金すら、タックスヘイブンへと逃れていく。そういう多国籍企業と国家を結びつけるのは何なのだろうか。「愛国心」?生まれも育ちもインドで、今はスイスの多国籍企業で重役をする人が、スイスに愛国心を持つだろうか。なぜフェイスブックは時に政府の捜査協力依頼を拒否するのだろうか。

 その点、三菱重工という企業は非常に面白い。東大の裏の方、鉄門の先に「三菱記念館」というのがあって、学生時代暇つぶしにふらっと寄ったことがある。「国家と共に歩む三菱」という紹介文と共に、三菱(重工に限らず)がいかに明治政府、戦後ニッポンを支えてきたか、が雄弁に語られる。現代でも、軍事生産を始め原発、ロケット、国産航空機と、「国益」ど真ん中の事業を勇敢にこなしている。

 資本主義のロジックからすれば、必ずしも正当化できない事業も多いだろう。安定受注とはいえ、軍需部門は市場の飛躍的拡大も見込めない割に維持コストは高い。秘密保護など事業コストもやはり重いだろう。それでも、潰れない限り(あるいは潰れてでも?)三菱は戦闘機や潜水艦を作ると思う。企業であっても、そういう国士的存在がありうるのだ。

 エネルギーの世界でも同様の事例がある。いわゆるNOC (National Oil Comapny)がそれだ。ブラジル国営ペトロブラス、中国国営シノペックやCNOOC、ロシアのロスネフチやマレーシアのペトロナスなどである。乱高下する原油価格という厳しい市場環境の中で、これらの企業は一義的には国益のために働く。利益は上げねばならないが、それは持続可能性のためであり、株主を肥え太らせるためではない。

 三菱やNOCの事例には、米国資本主義な殺伐さとは一線を画す泥臭さ、しぶとさがある。もちろん、良い悪いではない。良い面もあるし、悪い面もあるだろう。

 

 ところで、そのアメリカはどうなのか。ここに答えなければ、本質は見えない。アメリカに愛国的な企業があるのか??トランプ政権で国務大臣を務めるレックス=ティラーソンは、言わずと知れた元Exxon Mobil CEOだ。よく言われるが、エクソンは昔気質のアメリカ企業と言われる(スティーブ・コール『石油の帝国』ダイヤモンド社)。日本でいうとさしずめ三菱や新日鉄のような雰囲気だろうか。

 そのエクソンの信念は単純明快、「世界中あらゆる場所で、ジャングルから砂漠、深海から北極どこであっても、契約の神聖性を手に、卓越した技術力でエネルギー生産に貢献する」といったものだ。ジャングルにはベネズエラ、砂漠にはリビア、深海にはアンゴラやナイジェリア、北極にはロシアという、それぞれ個性的な独裁者が居座っている。エクソンはそれを物ともせず、契約の神聖性=「自由で開かれた、国際法の光に照らされた市場」のチャンピオンとして、世界最高のエンジニアリングを提供するのだ。

 なぜ(仮に)愛国的な企業であるエクソンの社是は、ここまで「グローバル」なのか。日本やブラジルやインドのように、「我が国のため」とならないのか。それはつまり、アメリカの国益は世界を一つに統合し、その平たいリングの上で暴れまくることだからだろう。敵を丸裸にして、リングの上で叩き潰す。そして戦利品を得る。これこそ超大国アメリカの利益であり、戦い方であり、生き様なのだ。だから、敵がコソコソずるをすれば、徹底的に糾弾して潰す。FCPAがそうだ。

 

 しかし、今状況は変わりつつある。平たかったリングには次々と起伏が現れ、皆見えないところでコソコソし始めた。いちいちツッコミを入れて矯正する気力も力もない。アメリカは、戦い方を変えねばならないだろう。もはやチャンピオンではなくて、有力選手の一人に過ぎないのだ。

 シェール革命で、海外市場を主戦場としていたエネルギーメジャーの多くが国内回帰している。エクソンはメキシコ湾に巨大製油所を作り「雇用を生む」と喧伝する。シェブロンはシェール投資に重心を置き始めている。(ただし、そのエクソンはベネズエラの隣国、現代の秘境ガイアナで巨大深海油田開発に着手している。逞しい限りである。)

 

 脱線した。企業と国家を結びつけるのは何か。これが問いだった。ありうる結論の一つは、企業にとって国家は(税という)搾取の主体であると同時に、より重要なことに、庇護者であるということだろう。

 日の丸プロジェクトは、ハイリスクだが、そのリスクは大体政府が負担する。一見国に付き合わされている企業も、その実国家に頼っているのだ。さしずめ、父親と奔放な息子(娘)の関係といったところか。一部のアメリカ企業が国内回帰するのも、結局、よその国での事業コストが高くなったから。今まで父親の顔パスで入れていたクラブに入店拒否されて、やむなく家で大人しくしている大学生のようなものだ。

 

 その一方で、自国の政府にすがることなく、よその地で逞しく生きる企業もある。アルジェリアでテロリストに攻撃された日揮などはその例だろう。(もちろん、プラント輸出で政府系金融の支援があるケースも多いが。。)

 

 どちらが優れているといった話では、当然ない。企業のあり方も、個人のあり方がそうであるように、実に多種多様であることだけは確かだ。純数学的資本主義のロジックでは割り切れない企業の行動原理も、「セミグローバリゼーション」の時代であれば、是非理解したいところだ。