The party in the high castle

Energy Return on Investment (EROI)の減少、即ちエネルギー余剰の低減による文明崩壊論を基調モチーフとしつつ、地理、歴史、技術、制度、思想などについて考えます。

データは新しい石油か

IT時代、いやビッグデータ時代、基いAI時代において、データは21世紀の石油だと言われる。データが重要でかつ金を生むのは肌感覚で十分理解できるが、果たして石油に相当するものなのか、というのは、まだ整理がついていない。

www.economist.com

 20世紀の石油はダニエルヤーギンが『石油の世紀』で描いた通り、政治経済の中心をなす存在だった。石炭時代が終わり動力源が石油に移行したことで産業構造も大きな転換を遂げたのだった。前世紀末からの情報革命を経て、スマホの台頭によりここ10年で急速に情報化が進み、確かにデータが政治経済の文脈で持つ重要性は凄まじいものがあるのは事実だ。上記エコノミストの記事にもあるように、今や経済活動、営利活動の根本にはデータがある。マーケティングの本質は消費者行動を読み制御することかもしれないが、データは消費者自身より雄弁にその人を描いてくれる。

 ところが文明的な視点、あるいはビッグヒストリーの視点で見ると、人類が経験した「革命」はいずれもエネルギーに関連するものだった。中世農業革命も、家畜駆動のトラクター(重量有輪棃)と鉄製農具によるもので、いわば食料生産のEROI (Energy Return on Investment)を高める革命だったと言える。18世紀産業革命自然エネルギーから化石燃料の移行によるものだ。ITは流通コストを極限まで下げたが、それ自体がモノを動かしたり人を肥やすものではない。IT革命の歴史的意義はどちらかというとグーテンベルク活版印刷に近いのではないか、とも思えてくる。とすると、データと石油は歴史的意義のカテゴリー、土俵が少し違う気もする。産業革命からの急激な人口増大は、明らかに動力源の移行によるものだ。余剰エネルギーが増えることで社会は豊かになったのだ。ITは作業の効率化を達成してくれるが、それ自体はエネルギーを生むわけではない。ロボットも、電池が切れれば動かない。

 一方で、AIのインパクトは、何となくだが凄いものになる気もする。シンギュラリティがくれば人間はロボットに勝てない、優秀なロボットがさらに優秀なロボットを生産し、社会活動の「ループ」から人間が除外される。SF作家が何十年も前から予見していたシナリオは、いよいよ現実感を持ち始めている。仮にそう言ったターミネーター的世界がやってくるならば、それは「人類の歴史の終わり」であり、人類の歴史において語られてきた従来のエネルギー革命とは質が全く違う。つまり、IT革命は従来の意味での革命ではないが、それを凌駕する異次元の革命の基礎になっている可能性がある。

 ロボットが人間の意思決定を支配する世界では、人間の尊厳はどうなるのだろうか。ロボットは哲学をするのだろうか。ロボットは政治をするのだろうか。人類の歴史上何度も戦いが行われた。奴隷対地主、平民対王族、労働者対資本家。ただ人間対ロボットにおいて、十分進化したロボットの思考は誰も理解できない。こんな戦いは今までなかったのだから、歴史家にも行く末はわからない。誰もわからないのだ。

 シンギュラリティは禍々しく謎に満ちているが、それが起きないのだとすれば、「人類の歴史」は継続する。そして、人類の歴史は人間という動物の歴史であり、エネルギーの歴史が続くことを意味している。一見すると潤沢なエネルギーだが、EROIは右肩下がりだ。安い石油が底をつくとき、データは役には立たない。オールドエコノミーという煤まみれの機関室から燃料が尽きたとき、人類文明という空中楼閣は、ガラガラと音を立てて崩れ落ちるだろう。