アートとしての「組織論」

 ビジネスの世界には色々な領域があるが、そこにはいわゆるハードスキルがある。場合によっては公的なcetificationがつけられて、プロフェッショナルとして特殊な世界を構成する分野もある。今回は重要な一分野でありながら、ハードスキルを定義するのが難しいと感じる領域、「組織」について考えてみた。

 組織論と言うと、人事領域だと言う人もいる。確かに組織とは結局人の集まりだから、人事マターだと言うのはわからなくも無い。だけど、僕からすれば、予算システムだってある種の組織論だ。財務会計とは別に、managementのために数字を見るのなら、そこには事業の目的達成のために最適化された組織を正しく運用する、という意図があるはずで、正しく予算を作り運用しようと思えば、前提として正しく組織を作らないといけない。もっと露骨には、税務上の最適化(というか納税額を少なくする)のために、グローバルな組織設計をする企業だってある。何も人事の先見事項では無いことは明らかである。

 つまり組織論はmanagementそのもので、現代のビジネス風にあえて言えば、「戦略」ということだろうか。であれば、「組織論におけるハードスキル」とは何なのか、あるいはそれを軸にしたキャリアパスは?

 戦略コンサルなどでは、クライアントのmanagement systemのデザインや改良を請け負うことがあるだろう。こういう経験を通して、最適組織設計、KPI設定、人事評価システム云々と、全体をいじる経験ができそうだ。キャリアパス上は、「組織論わかる人、できる人」となるかもしれないが、今考えたいのはそんな表層的なことでは無い。それを経験した人としない人で、知識や思考の方法においてどんな差が出るのか、が重要なのである。

 ぶっちゃけると、手元に答えはない。が、素人の直感でいうと、これはもしかすると「アート」なのかもしれない。つまりハードスキルという言葉にそぐわない。法律や会計は教科書に書いてある。暗記して、繰り返し使えば知識は身につく。組織論は違う。方法論は教科書にあるかもしれないが、「スキル」に昇華するには実際に経験して肌感覚で覚えるしかない。ある種の職人芸なのだ。きっと。じゃあハードスキルじゃなくてソフトスキルでは、という気もしなくもないが、機械よりも正確に加工する職人技を、ソフトスキルとは言わない気もするので、あえてアートと呼んでおく。ハードとソフトの隙間に存在する、定義し難い領域だ。

 なぜこんなことが起きるのか。多分、組織が結局人に行き着くからだろう。組織論はmanagementの一部で、たくさんの人間をどう動かすかが主眼にある。だから法律のように科学的手法できっちり組み立てられた世界でなくて、人間の生臭い心理が大きな割合を占めている。だからこそ、アートなのだ。

 AIとロボット時代にあって、機械論的なハードスキルの相対価値は徐々に下がるだろう。逆に、アートの価値はどんどん上がる。人間の心を繊細に感じて、組織という有形物に仕立て上げていく、というのは、実はとんでもなく複雑で難しく、価値のある技術なのかもしれない。