「可動式の主権地」〜地経学アセットとしての海洋資源開発〜

 我らがパラグ・カンナの著書『接続性の地政学』下巻に、「可動式の主権地」というお洒落なワードが出てくる。紹介されているのは中国やブラジルが海洋資源開発に使用している浮体式プラントである。その意味するところ、すなわち以下の通り。

 海洋は陸地と同様、空間であるが、人々が「根を下ろす」「土地」とは言い難い。浮力をうまく生かした物体に乗っていなければ沈んでしまうし、波や風があり、金属は腐食する。古代より人類は海と触れ合い、その恵みを享受してきたが、それは漁業と海運に限られた。一箇所に留まることはなく、風に、波に揺られ動き続けるのが常であった。経済の場であると同時に、海は政治の場でもあった。帆船時代、歴史は海で作られた。いくつもの偉大な海戦が行われ、英雄が生まれた。風の時代が終わり蒸気の時代がくると、「砲艦外交」の字が示す通り、強大なパワーは海からやって来たものだ。空前絶後の経済膨張の時代、海運がそれを支え、安全は空母が保証した。現代は地経学の時代である。政治的目的のために経済行為が行われ、経済行為のために政治力が駆使される。両者の越境は、海洋においても起きている。中国が経済的採算を度外視して洋上プラントを動かす時、それは必ずしも経済的目的のためではない。そこは洋上の「土地」、主権地なのである。人が常駐し、生活が営まれる。かつてはあり得なかった、洋上に「根を張る」行為が可能なのだ。(凡その個人的解釈)

 今月初め、日本近海のレアアースが話題になった。埋蔵量としては相当程度だという。「有識者」は、レアアース市場の構造からして、商業採算に乗る見込みは少ないと冷笑的だ。確かに埋蔵量自体はほぼ無尽蔵にある。中国が安く生産するから市場供給ベースで中国依存度が高いというだけなのだ。だがこれをもってこの資源開発を無益と決めつけるのは、地経学時代においては50点である。

 海洋権益を主張するには、「根を張る」ことが重要だ。陸地であれば城を建てる。海の場合は?海洋プラントは洋上の要塞だ。EEZ国際法で守られた権益だ、などという建前論は、パワーを前にすれば儚い。権利を主張するならば、アセットを築く他ないのだ。根を張って活動をし、プレゼンスを築く。人工島を作るよりだいぶん安上がりなのだから、海洋資源開発は、商業的赤字になろうとも、海洋権益保持のためのインフラ整備と割り切って行うべきなのだ。

 空母や戦艦は世の中の反感を買うが、洋上プラントはそうではない。海洋資源開発は地経学的文脈で捉えるべきだろう。