鎮魂と統制と救済

 クリストファー・ボーム『モラルの起源』(白揚社、2015年)が非常に面白くて感ずるところ大なりだったので書くことにした。

 現代の人間の道徳観は石器時代にチームで大型動物を狩るようになってから形成されたという仮説。共同体に危害を及ぼすエゴイスティックな行動を評判で抑制していて、それを抑制できない真性エゴイストは遺伝子的に駆逐される一方、利他精神を内面化(すなわち罰を恐れてではなくそれが正しいと思う、それをすると誇らしいからという理由で規範に従う)した人が選別されてきて、道徳が定着するに至ったという内容。もう一つ興味深かったのは人にはエゴ、身内びいき、利他という三種類の心理が備わっていて、食料などの資源が豊富な時は利他が効果的に機能するが、欠乏すると利他に制限をかけるだけの柔軟性もある、ということ。極限の飢餓状態では親が子を喰らうという衝撃的行動さえも人は取り得て、かつ、それを(心理的苦痛は味わいつつも)道徳的逸脱とは必ずしも捉えない。生きるためには徹底的にエゴイスティックにならねばならぬ時もあるわけだ。事実こうして我々の祖先は欠乏が恒常化する厳しい時代を生き抜いてきた。

 この内容を兼ねてより書き殴ってきた「鎮魂と救済」の文脈に当てはめるとどうなるか。まず人間の捉え方だが、エゴ、身内びいき、利他があるのは皆共通だがその範囲や生態的状況に応じた挙動は千差万別である。どんなに豊かで満たされた環境でも人を殺したりしないと気が済まないサイコパスがいると思えば、飢餓寸前でも他者にパンを分ける極端な利他主義者もいる。とはいえ、ほとんどの人間が当てはまるであろうところの「標準的」なあり方というのはきっとあって、それをモラルマジョリティと呼ぶことができる。

 また、利他が制約される状況をつぶさに見ると、そこの根元には欠乏への恐怖があるように思える。平時は仲間に公平に肉を分けていた原始人が、緊急時にカニバリズムに走ったという事実が示唆するのは、飢餓のような欠乏が利他を制限するというある意味直感的に当たり前の事柄であるが、一歩進んで、「飢餓の恐怖」もまた利他を制約しうるだろう。以下の例を考えてみる。

 私は30人の部族で暮らす狩人である。従来は縄張り内で比較的豊かな暮らしをできていたものの、最近縄張りに別の部族が侵入するようになった。狩場には幸い動植物が豊かに存在し、直近で物資の欠乏になるとは思えないが、侵入者の意図や実態次第でもある。たまたま間違って侵入したのか、あるいは増えすぎた家族を養うべく侵略的意図を持って偵察しているのか、後者であれば私の仲間の平穏が危機にさらされていることになる。

 翌日、狩場に行くと10人程度の狩人が我が物顔で獲物を仕留めていた。昨日見かけた人も含まれている。こちらのことは気づいているようでもあるが、すくなくとも敵意はない。直ちに戦闘するのは得策ではないが、相手方の人口規模はこちらと同等程度ではあろうし、両部族を養うほどの獲物は当然いない。何らかの対策が必要だ・・・

 初日の時点で狩人は恐怖を覚えた。それは具体的な欠乏の恐怖というよりも、相手の狙いがわからない、何が起きているかよくわからないという茫漠とした不安であった。<A>

 しかし翌日、相手を再び目撃することで、縄張りにおいて競合していることを明白に理解した。短気な人であれば怒りを覚えて闘争心を駆り立てられるだろう。具体性を帯びた欠乏への恐怖が、是に於て最初に生まれることになる。<B>

 こうして集団に恐怖が生まれると、敵意や嫉妬といったネガティブな感情が連鎖的に発生する。いずれも利他を制限する毒である。モラルマジョリティがこの毒に感染し暗転する時、集団は闘争的になる。なお「集団」は共同体内の小勢力かもしれないし、敵対共同体に対峙するある共同体そのものかもしれないし、強大な勢力の前に連衡する共同体群かもしれない。大きさはともかく、一定の「他者」を敵と認定する、友敵作用が生じるということである。<C>

 社会が分断され価値闘争の様相をすれば、遅かれ早かれ破綻が待っている。革命・内戦・戦争が生じ、秩序は乱れ生活は破壊される。例えば時間をかけて作った菜園は無残に蹂躙され、住居は破壊される。漁に使う道具も船も壊され、まさに欠乏が襲いかかる。<D>

 

 このように、多くの人間が隣接して集住し、限りある資源を共有する世界においては、A-Dの流れがしばしば起こることになる。とはいえ、それぞれのステップにおいて人間にできることもある。

 A: 鎮魂-1。状況を冷静に分析把握する。確かに見知らぬ人がいたが敵とは限らない。迷っただけかもしれない。仮に狩場を奪おうとしているのだとしても、対話の余地がないではない。焦るな、恐るな、ゆっくり確かめよう。

 B: 鎮魂-2。相手が敵である可能性が高いことはわかった。しかし闘争すれば互いに失うものの方が大きい。現状において食料が不足しているわけではないし譲歩の余地もある。せっかく落ち着いてきた良い居住地だったが、最悪移転もできなくはない。なーに、相手だって同じ人間、仲間のために狩場を探しているんだ。俺たちがそうするように。「敵」だなんて大げさじゃないか。

 C: 統制。すっかり闘争状態が定着した。仲間を守るのが善であり、敵を倒すのも善、全く同様のことが敵側にも成り立つ。善悪の世界を超えた灰色の世界。マキャベリズムの権謀術数を駆使して敵を制圧し、統制する。

 D: 救済。世の中は戦闘で荒廃した。農地は荒れ果て家は壊された。多くのものが死んだ。しかしこれが世界が終わるわけではない。まだ生きている人もいる。家を再建し、土を耕し船を編もう。生きるために汗を流そう。

 現代はどのステップにいるだろうか。資源減耗が進み経済の縮小が視野に入ってきた中で、利他を制約する毒が回りつつあるようにも見える。社会的合意はままならず、一方で統制志向の政治が目につくようになっている。暴力的闘争や崩壊を避けるための統制は、目的こそ崇高なれど他者の抑圧を前提し、価値闘争の激化を招かずにいない。一時的な統制も、原因たる価値対立を強化するのでは、構造的袋小路と言わざるを得まい。

 蓋し救済こそが未来につながる道である。