石油の平和

「明日はもっと豊かになる」という感覚が共有されている時、平和になるのだと思う。現状に満足しているのだからわざわざ好戦的な態度をとる動機がないし、仮にそう言った闘争に陥った場合に失うもの(明日の繁栄)が大きいからである。動機もなければコストも高い、この構造が平和を作る。一方、その誰かの繁栄が自らの繁栄を食い潰すという恐怖があれば、その恐れが闘争の動機を生んで、現に破滅的な戦争になることがある。第一次世界大戦前夜、成長するドイツにパイを奪われることを恐れたイギリスの好戦性を高めていたことがその例である。いずれかの共同体の経済成長率が鈍化する時、すなわち成長曲線の微分がマイナスになると、文字通り軍靴の足音が響き始めるのである。

 いわゆる安全保障政策というのは、こうした好戦性や敵意が一定程度生じていることを前提に、戦争を回避するための方策を考えるものであろう。そこでは闘争の動機の除去よりもコストの増大に関心が払われる。軍事力という一見邪悪な存在を肯定する根拠は、その抑止力、すなわち闘争コストを高めることで闘争を避けるというロジックに収斂する。

 経済政策(通商を含む)は、豊かさを保証することで闘争動機を除去するという意味で、実は平和政策の礎である。そこには単に繁栄・平和という要素に止まらず、公平・公正という要素が加わるので、その分複雑な動きを見せる。経済格差自体が公正に反するという意味で悪であれば、その是正は善である。しかしそうした福祉政策が政府の非効率と相まって経済成長を阻害すれば、その帰結は冒頭に述べた「軍靴の足音」かもしれない。あるいは、筋悪な社会主義政策の帰結としての「国家破綻」かもしれない。いずれも暴力の跋扈という結末は変わらない。国家リーダーは、こうした内政と外交のバランスを取りながら、自らが依って立つ政治的理念に従って決定を下さねばならない。

 そうした意思決定の根源的制約条件となるのが、FEWS(Food, Energy, Water, Shelter)供給である。FEWSは人間生存の必須要素であるので、これらに欠乏が生じれば経済的繁栄は不可能となり、結果安保政策のオプションも極端に減少するだろう。(例えば原油価格が200ドルになればグローバル経済は崩壊するだろうし、水が決定的に不足すれば戦争は不可避だろう。)FEWS供給の歴史はテクノロジーの歴史であり、イノベーションの歴史でもある。火の発明、鉄器の発明、農耕の発明、帆船の発明、化石燃料の発明、等々。そのいずれも、一夜にしてできるようなものではなく、長い時間をかけて人類の集団学習が繋がった帰結としてある。そこでは国家の支援も重要な役割を果たしただろうが、それが全てではないどころか、むしろそれぞれの分野に執拗にこだわった、Entrepreneur達の執念こそが中心的な役割を果たしたように思う。

 ところでアイデンティティとは、結局信念ということだと思う。常識や雰囲気に流されずに正しいことをやるという信念、その姿勢の総体がアイデンティティだ。世の繁栄と平和に資する行動をするという信念で生きるならば、例えば国民全体が隣国に排外主義的になってもあくまで非戦主義を貫くとか、再配分を求める声が高まる中であくまで古典的自由主義経済政策を主張するとか、あるいはCO2削減を求めて化石燃料に逆風が吹く中でも石油生産に精を出すといったことである。それぞれの選択は当然別の価値を毀損しているが、信念というのは敢えてそういう対立を直視することである。

 FEWSの中でも特にEnergyこそが繁栄と平和の礎であると思う。EROIが減少していくことが究極的な問題であり、マクロトレンドを逆転させることはできずとも多少なりその速度を落とすことは可能だと思う。この問題を前にすれば気候変動は二次的でしかないのではないか。どちらにせよ気候は変動するのであり、台風は威力と頻度を増すし、沿海部は水没の危機にさらされ食糧生産パターンも変わってしまうだろう。それに適応するためのエネルギーこそむしろ必要である。「石油の平和」は多くの価値と相反する挑戦的な物言いであるが、それゆえにアイデンティティとなる信念を形成する。