経済安全保障と油田権益

 経済安全保障というワードが最近ホットである。経済的手段を用いて政治的目的を達成すること(=エコノミック・ステートクラフト)も、この経済安保という概念に包摂されるのかもしれない。私は本ブログにおいてFEWS地政学、即ち国家共同体の存続に必須不可欠な各種財(食糧医療・エネルギー・水・国防防災+これらの生産に関わるテクノロジー)を生存財と呼び、国際関係・地政学の動きはこの生存財を巡る国家間の競争的ゲームであると捉えているが、その中で私は生存財は生存財としか交換できない、という命題を基礎に据えている。経済安保というのは私のこの考え方と極めて親和性が高い。

 ところで経済安保の中の一分野と言えるエネルギー安保に絡めて、「海外油田権益取得」という政策について考えてみたい。実は大昔にも同じテーマで書いているのだけれど、改めて。

 議論の出発点は、主語は日本であり、原油に焦点を当てる。原油需要は堅調で、9割以上を中東に依存している、とする。この状況における正しい原油政策とは何なのか、を考えたい。

 しばしば「日の丸油田」というスローガンが登場する。日本企業が主体となって操業する油田を指すのだが、政府説明を見ても、究極的には日の丸油田を増やすことを目指しているようにも見える。ところで油田開発の構造というのは、オペレーター、Joint Venture Partner(基本的な性格は出資者)、プライム・コントラクター(海洋の場合は掘削、海底仕上げ、プラットフォームと、合計3つか4つくらいいる)、それぞれのコントラクターにつく各種下請け、といったところであろう。これをFEWS地政学のフレームで分析すると、油田それ自体は典型的VR(Vital Resource)であり、所有者は産油国政府である。油田開発に係るテクノロジーは典型的VT( Vital Technology)であるが、これを担っているのはオペレーター、プライムコントラクター、各種下請け、である。異論もあるかもしれないが、私はJV Partnerの役割は資金調達であり、VTを担っているとは考えない。このように、日本企業が何を提供しているのか(資金なのか、VTなのかという論点)が一つあると思う。

 次に、原油の性格について考える必要がある。いわゆる市場でいつでも買えるコモディティなのか、国家政策や地政学の中で取引される戦略物資なのか、という話である。これはデジタルではなくアナログな話だと思うが、一つ言えるのは、原油の性格がコモディティによるほど、VR/VTという括りの意味が薄れ、カネの比重が増すということだろう。つまりコモディティであれば通常の市場取引と何ら変わらないのだから、欲しい時にカネを積んで買えば良いのである。他方、今議論したいのは「エネルギー安保」であるから、そもそも地政学的摩擦が増した世界線の話をしているのだ。(換言すると、原油コモディティであり続ける限りにおいては、エネルギー安保を議論する意味はあまりないのだろう。)故に議論の前提としては、やはり原油の戦略性が一定程度高まった場合、という補助線を引いておく必要があるだろう。地政学的摩擦が増してくれば原油は容易に「武器」になる。政治的恫喝の手段として禁輸されたりもする。その中でいかにアクセスを保っていくかというのは、カネを積めば良いというものではなかろう。つまり原油というVRを得るために、何のカードを切るか、という取引戦略が求められる。

 分析に際しては、産油国を3つのグループに分けてみる。一つ目は敵対的産油国、二つ目は友好的産油国、最後は日和見産油国である。また、政策手段としては「JVパートナーとしての出資」と、「オペレーター/コントラクター/サプライヤーとしてのVT提供」の二通りを考える。原油アクセスを求める国をA、産油国をBと置く。

  1. 敵対的産油国:出資の場合、油田権益を株式という形態で保持することになる。リスクとしてすぐに思いつくのはBによる接収、あるいは禁輸である。権益という法的観念に従って油田現物の取得を主張しようとも、そもそも地政学的対立=法のenforceabilityが担保されない状況における出資というのは、非常に心もとないのではないか(イランやロシアは近いことをやったことがあるだろう)。とはいえ、Bが原油を法外な値段で売りつけようとするようなケースで、A国企業が権益を保持しAに対して適正価格で流通させるならば、一定の意義はあるのかもしれない。一方でVTはどうだろう。当該VTが原油生産に必須であるならば、Bの禁輸の恫喝に対しては、AもVTの提供停止というカウンターを切ることができる。取引をうまく成立させることができれば、原油現物へのアクセスは維持できるかもしれない。
  2. 友好的産油国:Bが友好国であって、かつ原油の絶対量に余裕があるならば、禁輸をする動機など存在し得ない。是に於て問題になるのは原油生産の総量であり、総量増加に資するものは何であれ当該国の原油アクセス向上に貢献する。その点、資金提供でもVT提供でも、どちらでも良いということになろう。但し、総量に不足感が生じて友好国であっても輸出制限等が課された場合は、やはり出資よりもVT提供の方が取引としては強力と思われる。1で議論した通り、Aの出資に対してBは(かなり極論だが)いつでも接収できるのであり、それを思いとどまる動機は友好関係の破綻と将来の出資が引き出せなくなることにある。他方VT引き揚げは、現状の生産自体をも停止させることから、Bに対してはより直接的な打撃となる。もっとも、友好国であると言う前提で議論するならば、接収といった過激な手法が取られる蓋然性は低く、専ら、何らかの理由による生産障害や減耗を理由とした輸出制限、と言う形になるだろう。AのVTがなければ生産ができない、あるいはそれによって生産量の増加が期待できるといった場合は、その見返りとしてAに一定量原油アクセスを許可する、と言う政治的ディールが可能ではないか。
  3. 日和見産油国:BがA側につくか、別の需要勢力たるC側につくか迷っている状態を指す。BとしてはAもCもうまく取り込んで自国の利益を最大化したいところ、出資もVTももらえるものは総取りしたいところであろう。この文脈では、おそらく出資による懐柔を試みるのはAに限らずCも同様であるから、資金提供それ自体がCriticalになるかは微妙である。むしろ、特定の国・地域の企業に集中しているVT提供が分かれ目になるのではないか。VTを提供できる側につくのがBとしては賢明であり、Aの視点に立つと、VTを切り札として原油アクセスを得ることができるだろう。

3つの場合分けで見えたのは、結局のところ「財としての希少性」が重要だということである。出資とVTという二項対立に照らせば、カネよりもVTの希少性が高いと考える。これはある意味当たり前の事実であろう。逆に言えば、カネ不足に苦しむ国に対しては、出資は有効に機能するということでもある。例えば金融制裁を受けている国などが該当する。

 話を戻そう。原油アクセス保障という目標にために必要なのは何か。日本企業がnon-operatorとして出資するのは、投資先が友好国である場合は原油生産の総量を増やすという意味において有効、相手先が日和見・敵対的だったとしても資金不足に喘いでいる場合なども有効、ということになる。VT提供は、相手が友好国だろうが敵対的だろうが有効である。

 とはいえさらにまとめてしまえば、結局、産油国にとって「必須不可欠なものを提供できる唯一or希少な主体たりうるか」=「産油国レバレッジが効くか」この一点に尽きるのであろう。日本が専ら意識するライバルは中国と思われるが、経済規模で追い抜かれている以上もはや出資だけには頼れないだろう。VTを育成していく必要があると思われる。(アメリカのような軍事大国は軍事力提供というカードを切れるが、日本にはそのカードは不可能とは言わずとも難しいので脇に置く。ただし、アメリカに対してレバレッジを効かせて、間接的に産油国と取引することも可能である。この場合エネルギー安全保障はより広範なその他の安全保障と混ざり合ってくる)

 VTでいえば、国内に油田を持たぬ以上、基本は海外の油田市場という完全アウェーな戦いを強いられるのであって、日本企業の原油VT分野への参入は極めて難しいのも事実である。とはいえ原油アクセスは国家の死活的課題であり、諦めてもいられまい。単に日の丸油田を増やしたり、権益シェアの総量を増やすことだけに注目するのでは足りないはずで、勝てる分野の絞り込みと支援が不可欠ではないだろうか。

 とはいえ一番大事なのは、お上の支援云々の前に、そういった市場に出て行って勝ち抜いてやるという民間の企業家精神・ハングリー精神であることは言うまでもない。