幸福のトライアド

自分が幸福であるとはどんな状態か、というのを三要素(トライアド)で考えてみた。

 

美意識の確立:「何が好きか」「何を美しいと思うか」これは自分が自分であること、外部要因に一切左右されない究極の自己表現だと思う。他人と関わる時の自分自身、他者と接触する「器」たる自己の形・容貌。私の場合は「自然趣味」という言い方ができると思っている。海・雲・川の水循環や森林遷移、海洋循環、プレートテクトニクスと火山活動など、地球のダイナミズムに対する畏敬の念とも言えるだろう。これをカジュアルな「趣味」の次元に落とし込むと、大雑把に言えば自然を楽しむアウトドア、細かく見るとキャンプ、登山、自転車、カヤック、ダイビングなど山・里・海を楽しむ諸活動、そして知的探求としての地球科学(海洋・火山・森林・水文・気象等)。前者の中では特に(体験としての)焚火、(鑑賞・体験としての)乗り物(移動という目的のために自然を御すようにデザインされた人智の結晶)が、大きな存在感を持っている。

 

家族愛:美意識という自己の核を固めた上でまず大事なのは家族愛的なものだと思う。

 

善の実行:家族愛の余力において実行すべきが公共善であり、私は「繁栄と平和」と定義している。それを究極的に煎じ詰めればエピクロス由来の近代的功利主義:物理的欠乏・苦痛の総量ベースでの軽減というお題目になる。そのためには経済的な困窮と国家間の大規模戦争を防止するための活動が善いことになる。そこに行き着く道筋は無数にあると思われるが、是に於て「美意識」が手段の選択に影響する。「自然趣味」から「繁栄と平和」を眺めるならば、天然資源の分布、エコロジー経済、地政学といった視点がもたらされる。必須資源FEWSの安定確保をめぐる恐怖や集団的「強欲」が戦争を駆り立ててきた。前者は資源総量の増加によって、後者は軍備や同盟による抑止によって対処する他ない。同盟の維持にも「交渉力」が必要であるが、その源泉となる交渉資源(Vital Goods)を確保していく必要がある。

 無資源国の呪縛からは簡単に逃れられないが、そのサプライチェーンにおいて枢要な地位を占める産業群を構築することができれば、パイの増大に留まらず交渉力にもなるだろう。仕事はこうした軸に沿って実行することで、善の実施ということにする。

 

美・愛・善それぞれが実行において完成される時、幸福であるということができる。