The party in the high castle

遥かなる高みに聳える、アタラクシアの砦を目指して

エネルギー安保再考 〜「権益主義」批判〜

 エネルギー自給率が100%以上の国は、エネルギー安保など考えなくて良い。自給率が下がるほど、また一人当たりエネルギー消費量が多いほど、その重要性は高まってくる。日本ほどこの重要性が際立つ国もそう多くあるまい。

 経産省の方針はかなりリアリスティックで、日本は無資源国という前提に立ち、供給多様化と省エネを二本柱とする政策だ。電力という意味では天然ガスの供給元はかなり多様化している。原子力が失速しているのが痛手だが、ソーラーなんかもそれなりに増えてきた。省エネは言わずと知れた得意分野である。

 一方で、石油のセキュリティはかなり貧弱な印象がある。供給元は依然として8割以上が中東だ。中国はアンゴラやブラジルからも相当量輸入しているのと対照的である。また、「自主開発比率」「日の丸油田」といったよくわからない因習に浸っている点も理解に苦しむ。蓋し、石油のセキュリティで重要なのは二つ、一つはグローバルレベルでの需給バランス、そして純軍事的なシーレーン防衛である。「権益」というのはこのどちらにも属さない極めて中途半端な政策目標だ、というのが僕の仮説である。

 なぜか。「権益」とは石油会社の油田、あるいは原油に対する権利である。その割り当て分は自由に取引して良いということなので、例えば日系企業が20万バレル相当の権益を持っていれば、日本国民は、その日系企業が経済原理ではなく国民の紐帯、愛国心で持って日本人に原油を販売してくれるとう前提の上で、一定程度安心できる、という理屈である。ここで疑問が湧く。平時において、原油購入企業たる出光が、ロイヤルダッチシェルから原油を買うのと、japexから買うのとで何が違うのだろうか。もっとも、平時であれば原油市場から買うのだから、どこの誰がどこで掘ったのかなどほとんど関係ない。原油の質と、価格だけが物を言う、「商品市場」の話である。では、「戦時」はどうか。日本とインドネシアが開戦した。インドネシアには日系企業がかなりの権益を保持している。インドネシアの初手は、権益の接収か、禁輸だろう。これで権益は無と化した。終わり。敵対国に権益を保持することほど愚かなことはないのである。(無論インドネシアは敵対国ではないが。) 

 では「平時と戦時の間」はどうか。INPEXはイランのアザデガン油田に大規模権益を有していたが、イラン核問題による米国の対イラン制裁の流れの中で、手放した。どれだけの関係者が悔し涙を流したのだろう、だがこれが現実である。国際関係の中で、権益など空前の灯火なのである。国内政治でも同様だ。シェール革命で原油生産に余裕が出たアメリカは原油輸出を解禁したが、需給がタイトになればすぐ禁輸する可能性もある。その時、外国企業が権益を持っているから、その分は禁輸の対象外です、となるのだろうか。トランプ政権を見ていると、とてもそうは思えない。

 このポイントは調査不足なので、以下は推測になる。例えば権益を持つ日系企業に、日系買い付け業者が提示する倍の額を提示した中国国営業者がいたとして、権益企業はどちらに売るのだろうか。中国に売れば売国奴と呼ばれるだろうが、日本に売れば株主への背徳行為である。日系業者が権益を取得する際、政府と何らかの取り決めをしているのか、あるいは企業の判断に任されているのか、調べて見たいところだ。(INPEXのような会社は半官的な部分があるので例外)ところで、ここで政府からの縛りがないのだとしたら、いよいよ権益保持には意味がない。戦時でもない限り、結局は札束の殴り合いなのだから。面白い逸話がある。石油ショックの時、イギリス首相はBPに対し、優先的にイギリスに原油を売るよう要請したが、BPは拒否した。どこかで販売を拒否すれば、資産の国有化など中長期での不利益を被るからだ。需給タイト時に日本がBPから原油を買おうとして、BPが売ってくれないがために日本がBP資産をどうこうできることはないが、オイルメジャーはオープンな市場と資本主義を信奉する。彼らは自国に優先的に売るといった発想はなく、資本主義に則り金さえ出せば買えるだろう。この問題は、需給が逼迫した時に、原油のオープンマーケットは崩壊するのか否か、という問題とも言い換えられる。

 崩壊するならば、権益には一定程度の意味があると言いうる。市況商品でなく戦略物資となった以上、「所有権」を主張しておくことは肝心だろう。崩壊しないなら、繰り返すが権益には意味はない。値段は高騰するが、それだけだ。(70年代オイルショック時に示唆された歴史的事実は、後者である)価格が高騰すれば生産量は増えるものだ。数ヶ月で増えはしないかもしれないが、それくらいなら備蓄で対応できる。1年あれば、かなり増えるだろう。原油市場にはそういう逞しさがある。(そしてこれこそがエクソンの信条だ)もっというと、こうして供給地の多角化が極限まで進んだ先には、「帝国」時代の未来像が垣間見える。アメリカ大陸、ヨーロッパ・アフリカ大陸、そして中央ユーラシア、それぞれエネルギー供給と消費が完結する帝国単位を形成しうるのだ。オープンマーケットの究極形態は、逆説的に、閉じたマーケットになるのかもしれない。

 いよいよぐちゃぐちゃになってきたのでまとめよう。オイルのオープンマーケットの強靭性というのが一つのキーだった。強靭であるなら、需給がタイトになってもいつかまた緩くなるので、結局権益を主張するより、全体の生産量を増やすのに貢献する方が重要だ。強靭でないなら、少ない資源の奪い合いを少しでも有利にするべく、権益を主張しておくべきだろう。そして歴史が示すのは、オイルマーケットは想像以上に強靭であるということだ。これが、僕の主張する第一の要点、「グローバルレベルの需給」の話だった。

 もう一つある。仮にグローバルで需給が均衡していても、シーレーンが脆弱だと困る。中国のパラノイア的拡張主義の背景にはこれがある。(これは「帝国」形成の主要なドライブだ)つまりシーレーンをアメリカ海軍に握られていることが、戦略的脆弱性だという認識だ。これは正しいと思う。権益獲得に邁進するのは正しくないが、シーレーン確保のために「一帯一路」を進めるのは全く持って正しい。来るべきポスト近代において米軍が後退し、中華艦隊がそこを治めるならば、日本の戦略的脆弱性は増すだろう。

 これはつまり、純軍事的意味での「輸送の安全保障」だ。敵地をタンカーがのこのこ通るのは心もとない、だから安全圏から石油を持ってきたい、というごく当たり前の話だ。中東で権益をとって喜んでいても意味はなくて、シーレーン防衛の議論があって初めて中東の意味がある。そこをもっと意識すべきだろう。

 よって結論づけると、エネルギー安保において第一に重要なのは、グローバルなオープンマーケットを維持すること。そのために技術革新、投資の確保、産油国の政治的安定が重要となる。(日系企業が権益を持つのも、所有権を得たという意味でなく、投資により生産量向上に貢献した、という意味において本当の意義がある。つまり極論すると、中国企業のプロジェクトに資金援助するくらいの気概があって良い。ま、ないだろうけど。)また産油国のインフラ開発のためにjicaなんかが頑張るのは大変意義深いだろう。僕は民間企業にいるが、技術革新では企業が主役なので、背負う使命は大きいというわけだ。

 第二に、これは各国異なるが、輸送の安全保障を実現すること。日本であれば南シナ海の安全確保という文脈で集団的自衛権の話になるし、中国では「一帯一路」がそれだ。これはドンピシャの地政学の話になる。

 以上を踏まえて日本のエネルギー安保政策はどうあるべきか。まず「自主開発比率」などというKPIは無意味だ。それより日本政府・企業による上流投資額、それによって支えられた生産量のようなものを意識すべきだ。とりわけ価格が低迷し投資額が低調になっている今のような時こそ、こういう指標が意味を持つ。(フリーライドの問題が生じるので政治的には困難かもしれない。国民に説明するのも根気がいるだろう)

 もう一つは「輸送の安全保障」のため、中東以外を開拓することだ。ロシア、アフリカ、南米など、ホルムズ海峡とマラッカ海峡を回避するルートはいくらでもある。特に南米は伸び代が大きく、ここの生産量が高止まりしてくれれば、オープンマーケットの強靭性を高めてくれるだろう。