現場主義と忖度がもたらす貧弱なマネジメント体質

 よく日本型組織は現場は優秀だがマネジメントシステムの構築や戦略性が欠けていると言われる。半世紀前の敗戦も同様の文脈で説明することができる、という本もある。僕は日本企業にいるが、訳あって日本人はマイノリティという特殊な環境で数ヶ月働く機会があったのでそこで感じたことを記そうと思う。

 まず、確かに現場は優秀というのは納得感がある。欧米(シンガポールやインド含め)下っ端は大したことがなく、マネージャーは優秀という階層構造が明確に見えるが、日本のそれなりの企業なら、満遍なく社員が優秀であるケースも多い。中でも一流企業と呼ばれるような組織なら、真ん中より上の層であればまず(英語力は置いておいて)世界で十分戦える基礎能力があると確信できる。だが、マネジメントになると「ダメな日本企業」「ダメな日本人管理職」になってしまうのはなぜだろう。まずは具体的な体験から入っていこう。

 僕が勤務したのはシンガポールだったが、「日本人的な態度」みたいなものが彼女ら(女性が多かったので)に共通理解としてあるようで面白かった。上司には口答えしない、上司が来ると立ち上がって話を聞く、納期は絶対守ると言った、社会人としてはある程度常識として教わってきたこういう姿勢は、彼女らにしてみればいわゆる日本人的な振る舞いに映るようだった。一方シンガポール人は妙に上下関係がフラットで、欧米的には当たり前なのかもしれんが、上司にも口答えするし、納期だって、平気で無理と言ってのける。むしろ黙って働く日本人を不思議がって見ているくらいなのだ。こうやっていちいち反論してくるから、上司も部下をなだめるために頭と口を使う。また、平気で転職していくから、モチベーションマネジメントにも気を使う。日本人は上司に従順なので、上司は多分楽だろう。というか、部下の管理をメインミッションとせず、いつまでもプレイヤーとして輝き続けることを求めている人が多いのではないか。

 僕の仮説は、日本人のこういう「サムライ的労働観」が、貧弱なマネジメントの根底にあるというものだ。もっとザクッというと、上司から見ると、部下が従順で優秀すぎるために、「使えない奴をいかにうまく使い倒すか」「使えない奴がダメになることを見越していかに全体工程をマネージするか」と言った発想を持つ機会がほとんどない、ということだ。

 マネジメントを一応詳しく見ておこう。僕はエンジニアリングの業界にいて、自分は経営管理の業務に関わっているので、若造なりにマネジメントとは何か考えてはいる。工事のマネジメントなら、所定の品質で、予算と納期内に作業を完成させる必要があり、プロマネはそういうKPIをひたすらトラックして、問題を予知し、リソース配分を変えて対処する。経営管理、例えばファイナンシャルコントロールなら、長期ビジョンに沿った中長期計画からカスケードダウンされた予算を作り、それに対する実績、予測を立てて、乖離が見られるようなら策を考えて実行する。リスクマネジメントなら、網羅的なリスク項目に対する対応状況に応じてモニタリングにリソースを割いたり、対策のためのプログラムを立案実行する。全部、企業の「本業」、例えば設計図を書くとか、溶接するとか、ものを運ぶとか、客とネゴるとか、そういうことではなくて、それを監督・管理するのがマネジメントである訳だ。

 こういう見てみると、マネジメントは動かされる人間に対する一定の不信感、ある種の性悪説に基づいた発想ではないか、と思えてくる。エンタープライズリスクマネジメントの導入では特にそれを感じた。従業員が皆完璧に仕事をしていれば、不正など絶対に起きないし、経営陣はしっかり戦略を考えているから、ポートフォリオを間違えたりもしない。ERMとはみんながやっていることをなぞるだけの無益な作業ではないか、そう感じたこともあった。だが、事実粉飾は起こるし、競争力がいつのまにか失われたり、まんまと投資で失敗したりもする。やはり完璧はないという穿った姿勢を持って仕組みを作っていくのは重要なんだと思う。

 ここで、サムライの話に戻ろう。サムライは忠誠を誓い、自己研鑽に励み、身を粉にして働く。現代日本企業では、上司になるのは皆元サムライだ。だから、部下が自分を裏切るとか、仕事をサボってるとか、そういう発想にはなりにくい。良くも悪くも信頼関係ができてしまっている。ここには、悪い意味でなあなあな関係性があり、マネジメントの前提としての性悪説、緊張感が欠如している。忖度され続けた上司は、部下の本心など見抜けないし、部下の行動をコントロールすることなどできないのだ。

 こういうと、日本はやっぱりダメで、欧米がいい、という論調になってしまうのが惜しい。現場が分厚いのはどう考えても競争優位になるはずだ。まだ言語化できないが、短絡的な欧米礼賛とは一線を隠す、独自の組織論・管理論を構築していきたいものだ。